松崎明記念館 資料コーナー
「松崎明記念館 資料コーナー」は、2017年7月、「目黒さつきビル」オープンと共に開設しました。
松崎明は動労、JR総連・JR東労組の指導者として、職場の闘いを基礎に組合員の利益を守り、平和と安全を守る闘いを切り拓いてきました。5万人合理化反対闘争、マル生粉砕闘争、安保・沖縄闘争、スト権奪還闘争、そして国鉄「分割・民営化」反対闘争など、日本労働運動全体をも牽引する闘いを実現してきたと言えます。
また1987年、「一個の革命」とも言われた国鉄改革を成し遂げ、JR東労組の礎を築き上げ、世界の労働組合・労働者との連帯も実現してきました。
松崎明は2010年12月9日に逝去、時代の流れに抗し常に労働者の立場で闘い抜いた「抵抗とヒューマニズム」の精神はいまも受け継がれています。
本コーナーは松崎明の闘いの足跡、歴史的資料をできるだけ収集し、現在・未来の労働運動の発展に役立てていきたいという願いが込められています。
弾圧につぐ弾圧で、松崎本人はほとんど資料を保存することができませんでした。当コーナーにはJR総連・JR東労組資料室に保存してあったもの、関係機関・関係者からの寄贈という形で収集しましたが、まだまだ全体を網羅することはできていません。
松崎明は動労、JR総連・JR東労組の指導者として、職場の闘いを基礎に組合員の利益を守り、平和と安全を守る闘いを切り拓いてきました。5万人合理化反対闘争、マル生粉砕闘争、安保・沖縄闘争、スト権奪還闘争、そして国鉄「分割・民営化」反対闘争など、日本労働運動全体をも牽引する闘いを実現してきたと言えます。
また1987年、「一個の革命」とも言われた国鉄改革を成し遂げ、JR東労組の礎を築き上げ、世界の労働組合・労働者との連帯も実現してきました。
松崎明は2010年12月9日に逝去、時代の流れに抗し常に労働者の立場で闘い抜いた「抵抗とヒューマニズム」の精神はいまも受け継がれています。
本コーナーは松崎明の闘いの足跡、歴史的資料をできるだけ収集し、現在・未来の労働運動の発展に役立てていきたいという願いが込められています。
弾圧につぐ弾圧で、松崎本人はほとんど資料を保存することができませんでした。当コーナーにはJR総連・JR東労組資料室に保存してあったもの、関係機関・関係者からの寄贈という形で収集しましたが、まだまだ全体を網羅することはできていません。
松崎明略歴
1936年2月2日 埼玉県比企郡高坂村(現在の東松山市高坂)で生まれる
1954年(18歳) 埼玉県立川越工業高校卒業後、国鉄入社試験に合格したが自宅待機を命じられる。その後、松戸電車区に
臨時雇用員として1955年に配属
1956年(20歳) 国鉄職員となり尾久機関区に配属。機関車労働組合に加入(1957年に「機関車労働組合」から「動力
車労働組合」へと改称)
1961年(25歳) 国鉄動力車労働組合全国青年部を結成、初代青年部長に就任
1963年(27歳) 動労尾久支部委員長として12・13尾久・田端基地統廃合反対闘争を主導し逮捕され、公労法解雇処分
を受ける
1967年(31歳) 動労関東地評事務局長となり、機関助士廃止反対闘争などを主導
1970年(34歳) 反安保・沖縄闘争を主導、兼1971年マル生粉砕闘争を闘いぬく
1972年(35歳) 動労東京地本25日間の順法闘争などを主導
1973年(37歳) 東京地本執行委員長に就任
1978年(42歳) 動労津山大会で「貨物安定輸送宣言」を本部に提起し、実現
1985年(49歳) 動労中央執行委員長に就任
組合として「三本柱(余剰人員調整策)」に取り組み、雇用安定協約締結
1986年(50歳) 政府が「国鉄改革関連5法案」を3月国会上程
7月、鉄労・動労・全施労・真国労等により「国鉄改革推進 労働組合協議
会」の結成を主導
1987年(51歳) 2月 鉄道労連(後のJR総連)結成
3月 東鉄労(後のJR東労組)結成、中央執行委員長に就任
4月 JR発足
1995年(59歳) JR東労組中央執行委員長を退任し、会長に就任
2001年(65歳) JR総連特別顧問に就任(2002年退任)
2010年12月9日 間質性肺炎で逝去。享年74歳