シンポジウム
「原発回帰と気候危機に向き合う生活を考える」意見交換会開催!
2024-04-06
主催者あいさつ
珠洲原発建設反対の闘い
今年1月1日の能登半島地震の震源地の近くである石川県珠洲市では、1975年に原発が建設されようと計画が持ち上がり、住民の反対運動とそれを切り崩す電力会社側との計画凍結までの28年間の闘争がありました。計画が持ち上がった当初は原発に賛成でも反対でもありませんでした。原発とはどんなものか福井の方から話を聞き、本を読み、学ぶほどに安全は嘘で固められていると疑うようになりました。放射能と人間は共存できないと。
電力会社による住民の懐柔が始まり賛成派、反対派と住民が分断されるようになりました。絶対に原発は良くないが、推進派の個人攻撃、批判はしてはいけないと徹底しました。
次世代を生きる皆さんへのメッセージは「いやなものはいやだ」と堂々と言える社会を望みます。正直に言える、共有することの難しさを学んでほしい。
「強い者の味方をするのは坊主じゃない」「迷ったら困難な方を選べ」という亡き父の教えが原発建設反対の闘いを貫いた私の信念です。
日本の原発問題を考える
今、日本全国の原発を歩いています。原発の他に大学の原子炉、東芝の原子炉、米軍横須賀基地の原子力船など、日本全国に配置され、核物質が行き来しています。プレートの狭間で地震の帯に連なる日本の自然環境の中で単に原発事故だけでなく、地震や津波、火山や台風など複合災害として発生します。能登半島地震では地面が4mも隆起し、家屋の倒壊、火災、道路の寸断などで、屋内退避も、避難もできない状況です。志賀原発で起きたトラブルを見れば、珠洲原発を白紙撤回に持ち込んだ住民の闘いで命が救われました。住民の力で押し返すことが出来るのです。東電福島第一原発事故を振り返り、原発事故から逃げられない現実を受け止めなければなりません。
日本の教訓として「災害は忘れなくてもやってくる。日本の国土は極めて脆弱。急速な高齢化が進行。原発事故は複合災害。」この日本で原発を進めるべきかどうか、子供たちに何を遺すのかが、私たちに問われていることです。
原発に頼らない日本社会の創造
経済産業委員会で、脱炭素・カーボンゼロを目指すために再生可能エネルギーをしっかりと導入することが原発にも化石燃料にも頼らなくて済むと提案しました。CO2は石炭や石油の発電、産業界から出ているものが多い。政府は原発と化石燃料にアンモニアを混ぜてCO2を減らして使おうとしている。原発に頼らずとも、太陽光、風力、水力、蓄電池などミックスした多様な取り組みを進めれば再生可能エネルギーのポテンシャルは、現在の電力供給量1兆キロワットの最大2倍のエネルギーを供給できるポテンシャルを持っている。これは環境省の出している数値であり、環境を守りながら利用可能なエリアにつくる計画のデータです。まだまだ日本には再生可能エネルギーの余地があり、これをどうやって利用していくか、再生可能エネルギーに転換していくかが私たちの課題です。
参加者からの意見